哲学 ── 声はどこに宿るべきか
人が残した声は、今どこにあるか。スマートフォンの中か。どこかのクラウドサーバーか。Googleのデータセンターか、Appleのストレージか。場所の名前すら、多くの人は知らない。
存在証明を設計するにあたって、私はずっとこの問いを持ち続けてきた。声が「誰かのサーバー」に預けられている限り、それは真の意味で残っているとは言えない。サービスが終われば消える。会社が方針を変えれば消える。アカウントが停止されれば消える。
声は、その人が生きた土地に宿るべきだ。
これは感傷ではなく、設計の原則だ。浦安に生きた人の声は、浦安に残るべきだ。100年後、その土地に暮らす人がアクセスできる場所に。クラウド企業の存続に依存せず、特定のデバイスの寿命に縛られず。
概念 ── 紙がノードである
TokiQRはすでに、この問いに対して一つの答えを出している。
声はQRコードのURL文字列の中に、物理的に刻まれている。Codec2という音声圧縮技術で符号化され、Base64URLに変換され、URLのパラメータとして印刷される。サーバーは再生に必要ない。紙さえあれば、30年後も50年後も声は鳴る。
しかし声の周辺にある文脈——誰がいつ発行したか、どの人物に紐づくか、どの地域の記録か——は、今もlocalStorageやクラウドデータベースに散在している。デバイスを失えば消える。サービスが終われば消える。
QRが解いたことを、文脈全体に拡張する必要がある。その答えが、コミュニティが持つコンピュータだ。
アーキテクチャ ── 蜘蛛の糸
机の上にラズパイが1台ある。これが今のTokiStorageの基盤だ。GitHub Pages が突然404を返した日、私はこの小さなコンピュータにデプロイパイプラインを移し、Cloudflareで静的サイトを配信し始めた。GitHubはコードの置き場所とwebhookの送信元だけになった。
そのとき、気づいたことがある。このPiが1台ではなく1万台あったら、何が変わるか。
中央集権型のシステムは「星型」だ。すべてのノードが中心(クラウド)を向いている。蜘蛛の糸は違う。どのノードも隣のノードと直接繋がり、中心がない。一本の糸が切れても、網は保たれる。
これを実装するために必要な技術的発明はほぼない。すべて既存の部品を組み合わせるだけだ。
近隣判定は自律で行われる
Piが起動すると、Cloudflare Workersの `/geo` エンドポイントを叩く。WorkersはリクエストのIPアドレスから自動的に郵便番号・緯度経度を返す。Piはその位置情報をもとにデータベースへ自己登録する。次に、同じ市区町村の既存ノードに対してRTT(通信往復時間)を計測し、最も近い3〜5台を「近隣」として確定する。
人間がやることはない。Piを電源に繋ぐだけで、メッシュに参加する。
データは地域に属する
浦安のPiは浦安のデータを持つ。近隣3台にレプリカを持つ。市区町村内で完結する。国をまたぐ通信はほぼ発生しない。これはEUのGDPR(個人データの域外移転規制)にも自然に適合する。データの地域性は、法的にも正しい設計だ。
GitHubは「窓」になる
コードのホスティングとwebhookの受信だけはGitHubに残る。しかし静的サイト配信・データ管理・デプロイ実行・通知配信・近隣同期——これらはすべてPiとCloudflareで完結する。GitHubが止まっても、サイトは動き続け、声は再生され続ける。
必要な資源 ── 何があれば動くか
ラズパイ5が1台、約25,000円。Cloudflare Tunnelの利用料はゼロ円。電気代は数百円程度。集会所はすでにある。
日本全国の自治会は約29万6,000。その2割で約6万台。25,000円×6万台の機材費はたしかに大きい数字だが、1集会所あたりで見れば、プリンターを1台買い替える程度のコストだ。維持費はほぼ電気代のみ。
ソフトウェアは1行のコマンドでインストールされるように設計できる。
- Piを集会所のルーターに繋ぐ
- インストールスクリプトを実行する
- 自動で位置を検出し、メッシュに参加する
- 以後、自律動作する
技術的な知識は不要にできる。必要なのは、設置する人と、そこに価値を見出す意志だ。
構想の具現化へ ── 浦安から始める
10台が動けば、構造は証明される。
浦安市内の集会所10か所にPiを設置する。各Piは自律的に近隣を発見し、データを同期し、互いの死活を監視する。どれか1台が止まっても、残りが補う。データはこの土地に物理的に存在する。
この10台が動いた瞬間、スケールの問題は消える。アーキテクチャが正しければ、100台でも1万台でも同じ原理で動く。
100台になれば千葉県内が繋がる。1万台になれば関東が繋がる。6万台になれば、日本の2割の地域コミュニティが記憶を持つインフラになる。
紙に刻まれた声が最も永続する。
次に永続するのは、地域に属するコンピュータだ。
これはインフラの話であり、同時に存在証明の哲学の具現化だ。声がどこに宿るかは、設計の問題だ。私たちは今、その設計を選べる立場にある。
集会所のコンピュータが、その土地に生きた人の声を持つ。100年後もそこにある。それを「インフラ」と呼ぶのか「記念碑」と呼ぶのかは、あまり重要ではない。